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英語教育産業の予期せぬ悪い結果と、CfICが目指すその解決方法

更新日:2023年7月17日

英語にアクセントや訛りがない、ということはありません。それが常識にならない限り、語学習者は板挟みのような状態に陥てしまいます。


英語教育に関する問題

英語を学ぶ目的は「ネイティブスピーカーのように話すこと」であるという考え方は、英語教育の実施方法に多くの歪みをもたらし、しばしば学習者を犠牲にしてきました。


前回の記事「英語学習を楽しめない、話すことに自信をつけられない理由」で見てきたように、日本ではネイティブスピーカーに与えられる優越的な地位は、ネイティブスピーカーがそれを受け入れた場合、学ぶ側と教える側の間に不平等な関係をもたらし、教える側は学習者のコミュニケーションに対する自分の感情的な反応を疑わず、学習者を過度に訂正して、学習者の自信を損ない成長を妨げる可能性さえもあります。


では、「ネイティブのように英語を話す」とはどういうことなのか、アクセントという不思議なケースを検証してみましょう。


あるオンライン英会話のYouTube広告で、生徒がネイティブの先生に「私の英語の強みはなんですか?」と質問すると、先生が 「あなたにアクセントがないことに感心しました!」と答えているのを見つけました。確かに、それは素晴らしいことであり、生徒も誇りに思うべきことです。しかし、この考え方はどのような状況を生み出すのかを考えてみたいと思います。


実は、英語にアクセントや訛りがない、ということはありません。アメリカ人から見ればイギリス人は訛っているし、その逆もしかりです。ニューヨークの人はロサンゼルスの人から見て訛ってるように聞こえますし、その反対もあります。そのため「訛りなく話す」という表現は正しくありません。ネイティブではない訛りで話すか、ネイティブの訛りで話すか、どちらかになります。


つまり、先生が「あなたにアクセントがない」と言うのは「あなたは私のように話している」、あるいは「あなたは私が慣れている訛りで話している」という意味なのです。教室の中では、ネイティブのアクセントがあることはポジティブに捉えられるかもしれませんが、実社会ではどうでしょうか。​​


少し前の話になりますが、アメリカ人の知人が香港人に会ったとき、今まで聞いたこともないような上流階級のイギリス訛りの話し方をしていて、取り乱したという話を聞きました。「恥じるべきだ!」と彼は叫びました。「植民地化を受け入れるとは何事か」と。この意見は理解できます。確かに、上流階級のイギリス訛りは、植民地化の名残であり、思慮すべきことなのかもしれませんが、ともかく私はこの問題に関して知識があるわけではないので、意見することは難しいです。


しかし、香港人が労働者階級のリバプール訛りで話す方が良いのでしょうか、それともアメリカ訛りで話すべきなのでしょうか?アメリカ訛りはイギリス訛りよりも本質的に優れているのでしょうか、あるいはよりニュートラルなのでしょうか?もしそうなら、どのアメリカのアクセントが最も適切なのでしょう?ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、オースティン?ハンプトンズの特権のある裕福な住人の訛りでしょうか、それとも恵まれない地域のギャングの訛りでしょうか?いずれにせよ、アメリカは移民の国であり、アメリカ人は世界各地から様々な訛りをもってやってくるので、ある特定の訛りが「本当のアメリカの訛り」であると考える必要はありません。(私たちはアメリカのテレビやメディアにたくさん触れているので、アメリカ社会に対する我々の見方は、このレンズによって必然的にゆがめられるのではないでしょうか?)


というより、香港人は広東語、非ネイティブのアクセントで話すべきなのでしょうか?しかし、確かにロンドンに行って中国語訛りで話すと、観光客扱いされるでしょう。しかし、ロンドンに行って、現地のアクセントで話せば、アジア出身の国民として扱われます。ネイティブスピーカーがどう言おうとも、私たちノンネイティブの話し方は、人の目や扱いに影響しますから、ネイティブスピーカーのアクセントを身につける努力をすることは、合理的な選択かもしれません。


しかし、アクセントによる影響​​はより複雑です。研究者たちは、「アクセントの幻覚 」の存在を明らかにしています。2020年のEthan Kutluは、同じ音声を聞きながらインド人と白人の顔の画像を見せると、ネイティブスピーカーはインド人の顔の音声を白人の顔の音声よりも訛っていると評価する傾向があることを実証しました(同じ音声であるにも関わらず!)。


現段階では仮説に過ぎませんが、科学者たちはこのような幻聴の説明をすることができるようになりました。私たちの脳は、世界を理解し、エネルギーを節約するために、過去の経験をもとに現在の経験を作り出しています。例えば、今までの人生でインド人で英語を話す人に会って、その人が強いアクセントを持っていた場合、脳は次にインド人らしい話し手に会ったときに強いアクセントを予測するのです。


ところが、Ktulu氏の実験の場合、この仮説が間違っていたことになります。被験者の脳はその誤りを解消し、音声を理解するために、より多くのエネルギーを使わなければならなくなったのです。この予想外のエネルギー消費は、ネイティブリスナーにとってネガティブな体験となり、その体験を意識的に「話し手が訛っている」と説明する(体験を合理化する)ことになったのです。


つまり、非ネイティブがネイティブのように、つまりネイティブのアクセントで、英語を話すことを目指すとしたら、まずアクセントを1つ選ぶ必要があり、その選ぶという単純な行為がかなり厄介なのです。私の経験では、ネイティブスピーカーに会った後、「ロンドンの人みたいに話すね!」 と言われたら、その後に期待されるのは「そうなんです、私はロンドンに10年住んでいました」 という会話です。もし、あなたがネイティブ・アクセントで話すことに、生活に密着した自然な理由がなければ、ネイティブスピーカーを混乱させ、最悪の場合、自分を偽っているような不自然な態度に見られるかもしれません。


そればかりか、せっかくネイティブな発音で話せるようになったのに、聞き手が① 似たような人の非ネイティブな発音に慣れていて、② あなたの流暢さのレベルや実際のアクセントに関する情報を持っていなければ(先ほどのYouTube広告の先生とは逆に)、訛りがあると幻覚を見てしまう可能性があるのです。せっかくの勉強が無駄になってしまいます。


では、英語学習者はその努力を惜しんではいけないのでしょうか?ネイティブのアクセントを身につける努力をしないことで、時間とお金を節約することはできます。しかし、それが得策でないことも、きちんと証明されています。


2010年、研究者のLev-AriとKeysar は、アメリカ英語のネイティブスピーカーに、「キリンはラクダよりも長く水なしで過ごせる」といったトリビアを、① ネイティブスピーカー、②軽いアクセントの非ネイティブスピーカー、③ 強いアクセントの非ネイティブスピーカーが暗唱するのを聴かせたのです。


ネイティブリスナーは、非ネイティブスピーカーが朗読した同じ文を、ネイティブアクセントで朗読したものより、一貫して「真実味がない」と評価しました。研究者らは、先ほどのアクセントの幻覚に関する実験と同様に、ネイティブリスナーは、非ネイティブの音声を解析するために脳が必要とする余分な努力を誤解しているのではないかと考えています。つまり、予期せぬエネルギー消費を経験したとき、そのネガティブな経験を話し手のネガティブな性質に起因すると合理化したのです。このような誤認識は、"アクセント・バイアス "と呼ばれています。


こうして、英語学習者は、板挟みのような状態に陥るのです。訛りがある場合、その話し方は解析されにくいため、アクセント・バイアスに悩まされます。ネイティブのアクセントで話す努力をすれば、ニセモノとみなされるか、政治的に正しくない行為の加害者とみなされます。さらに悪いことに、ネイティブのアクセントで話すことが聞き手の脳にとって非常にありえないことである場合、彼らはまだ非ネイティブのアクセントを持っているとみなされるかもしれません。


しかし、このジレンマには、誰にでもメリットのある解決策があります。


この問題の根本的な原因は、英語コミュニケーションで見られるほとんどの問題と同じです。"ネイティブ英語 "と "国際共通語としての英語「インターナショナル英語」 "の区別がいまだに明確でないから、このようなわけのわからない事態が起こるのです。


ネイティブ英語では、ネイティブスピーカーのように話すことが目標になります。ですから、まず自分が学びたいネイティブの英語を1種類選び、選んだネイティブとできるだけ同じように話せるように努力しなければなりません。そうすると、「あなたには訛りがありません」という言葉が意味を持つようになります。


しかし、ネイティブ英語を勉強する目的が、ネイティブスピーカーのように話すことであるならば、学習者は失敗する運命にあるのです。


非ネイティブが完璧なバイリンガルになったとしても、「ネイティブスピーカーのように」話すことはできないのです。それは、① ネイティブスピーカーの定義にはあまりにも多様性がありすぎて、どの話し方が正しいのか判断できない、② 非ネイティブの認知は依然として母語と異なる人生経験に影響されており、決して同じように「考える」「話す」ことはできない、という理由からです。非ネイティブがネイティブのように考え、話すには、母語の影響を消し、過去の経験を書き換えるしかありませんが、これは望ましいことなのでしょうか。もし、非ネイティブの認知の柔軟性や適応性を低下させるのであれば、おそらくそうではないでしょう。


それに対して、インターナショナル英語では、ネイティブ・スピーカーも含め、誰もがアクセントを持っています。だからこそ、どのような話し方が「正しい」とも言えないのです。


インターナショナル英語では、ネイティブとノンネイティブが対等な立場で接します。つまり、この場合の良いコミュニケーションとは、以下の2つのことを同時に行うことなのです。

  1. ネイティブは、さまざまなアクセントを聞くことに慣れ、人の見た目とその人の声の予測との間に持っている連想を解かなければなりません。インターナショナル英語を使いこなすためには、ネイティブスピーカーもトレーニングを受けなければならないのです。

  2. 非ネイティブは、英語のワードストレスを学び、リズミカルで正しい文章を出力し、聞き手が自分のスピーチを解析できるようにしなければなりません。ここでは、「ネイティブのように」ではなく、「十分に」であることが目標です。つまり、最も効果のある最小限の行動をとることが目標であり、英語訛りの場合、その行動とは英語のリズムを知り、それに従うことなのです。


Lev-AriとKeysarの2010年の研究は、このアプローチが有効であることを示すいくつかの証拠を示しています。彼らは同じ実験を繰り返しましたが、今回はネイティブの被験者にアクセントバイアスについて教育しました。その結果、ネイティブリスナーは、軽いアクセントではバイアスを修正することができましたが、強いアクセントでは修正できなかったのです。


つまり、ネイティブスピーカーにコミュニケーション能力のトレーニングをすることは有効ですが、それはある程度までです。非ネイティブスピーカーもネイティブスピーチの模倣に取り組む必要がありますが、それはある程度までなのです。


インターナショナル英語は、すべての人に利益をもたらす歩み寄りです。ネイティブスピーカーにとっては、世界についての知識が増えるので、感情的知性や意思決定能力が高まるというメリットがあります。非ネイティブスピーカーにとっては、良い英語コミュニケーションのための全責任を負う必要がなくなるメリットがあるのです。


インターナショナル英語は、英語の中でも独特のものであり、多くの英語学習者が実際に習得したいと願っているものです。これは、極めて曖昧な状況で英語を使うための特殊な方法であり、ネイティブの英語とは異なるスキルを必要とし、効果的なコミュニケーションのための異なるルールセットを含んでいます。


インターナショナル英語は、極めて多様な環境における極端な曖昧さの中での効果的なコミュニケーション術なのです。


インターナショナル英語では、特に英語しか話せない場合、必ずしもネイティブスピーカーが有利になるとは限りません。それは、このように経験の多様性、ひいては認知の柔軟性がないために、新しい環境に対する適応性が低くなる可能性があるからです。


自分の英語が「正しい」、非ネイティブの予期せぬ言語は「間違っている」という幻想が、何が起こっているかについての誤った結論、ひいては最適でない選択を導くかもしれません。ネイティブの聞き手が、非ネイティブの発言は信頼性が低いと誤って判断してしまうのは、脳が音声を処理するために余計な労力を必要とすることを誤解しているためだと考えられます。もし、非ネイティブが提供した情報が真実であるだけでなく、最適な判断を下すために不可欠なものであったとしたらどうでしょうか。


インターナショナル英語を一つの言語として捉えることの素晴らしさは、英語はツールであって、ゴールではないということを理解することです。ゴールは人間同士の建設的なコミュニケーションです。今の時代、その道具は英語ですが、将来は他の言語になるかもしれません。しかし、多様で曖昧な環境において効果的なコミュニケーションを図るためのルールは、どの言語であっても常に同じであるからです。


結論として、英語を学ぶつもりの非ネイティブは、選択をしなければなりません。英語学習の目標が、イギリスに移住して、そこで人生とキャリアを築くことならば、イギリスの英語と文化を学ぶことに集中するのが正しい選択でしょう。


旅行や多文化なチームでの仕事、エキサイティングでグローバルな人生を築きたいのであれば、インターナショナル英語を学ぶのがより効果的でしょう。この意味については、次回の記事で詳しく述べようと思います。


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